よもぎブログ

東京都の会社員、性別は女。 会社での立場はいわゆる中堅社員。ブログを通じて日本国民の幸福感を底上げしていきたい。とまでは思っていない。

人間が人間に及ぼす影響について(高野苺「orange」感想※ネタバレなし)

先日、会社を辞める後輩の送別会にて。

「あのとき○○さん(私)に言ってもらったことがすごく嬉しくて・・・」と言われた。不思議なことに、言ったほうは全然覚えてない。

「人間はしてあげたことは覚えてるけど、してもらったことは忘れる」というのが定説なのに。たぶん、言ったほうは何気なく言ってるだけで、「言ってあげた」とは思っていないからだろう。

今、高野苺さんの「orange」というマンガを読んでいる。未来の自分から「自分はいま後悔してるから、あれをしろ、これをするな」という手紙が届いて、言う言わない、するしないで迷う話。

恋愛シミュレーションゲームみたいだな、と感じる。選択肢でストーリーが分岐して、エンディングが変わる。けど現実には、誰かの言ったことやしたことによってストーリーがそんなに変わることって、あるんだろうか。

私はないと思っている。だから後悔していることもない。短期的に「うわ、あのとき買っておけば良かった〜」とか、仕事でミスして「うわ、やらかした~」とか思うけど、長期的に見ればそれで良かったんだと思えている。

現状に満足できている、幸せな状態なのかも。「自分のせいで・・・」と思いつづける人生は、不幸そうだな。そんなふうに思ってる人がいたら、「あなたのせいではないよ」と言いたいけど、言われたくらいじゃ考え方は変わらないのかな。

良くも悪くも、人間が人間に及ぼす影響なんて、ほぼゼロに等しくて、その小さな影響の集合体で現在ができている。ただ、テロとか虐待とか、例外はあるけど。

人を傷つけないお笑いとは・・・?

お見送り芸人しんいちさんの名前を初めて耳にした時、「お見送り芸」というものを発明した人なのかな、と思った。

R-1グランプリの審査でバカリズムが「他の人がやっても同じようには受けないであろうネタに対して、加点する」というようなことを言っていた。寺田さんのネタには寺田さんらしさが出ておらず、しんいちさんのネタにはしんいちさんの「性格の悪さ」が存分に活かされていた。私はこれからもしんいちさんには性格が悪いままでいてほしいと願う。

ぺこぱの漫才は「誰も傷つけないお笑い」などと評されたが、私はそうは思わない。シュウペイの言動に対して、いったんツッコミかけてから、「そうとも限らない」「うるさいのは、まちがっているのは、俺のほうだ」と「肯定」する松陰寺さん。対立したときに相手を肯定することで、自分の思考や言動を否定している。傷ついているのは他ならぬ松陰寺さんなのだ。(そういうネタなので、正確には松陰寺さんが演じている松陰寺さん役が傷ついている、と言うか。)

ぺこぱは松陰寺さんがずーっとシュウペイに気を遣っている。だからラジオがあまりおもしろくない。※個人の感想です でもそんな松陰寺さんの人間らしさというか、要領が悪くて真面目で心優しいところが、好きなんだけどなあ。バラエティ番組に出てても、当たり障りのないことしか言わないからつまらない。つまらないのはぺこぱではなく、ぺこぱに当たり障りのないことしか言わせない番組がつまらないんだけど。シュウペイは意外と(?)常識人のリア充思考なので、もっと松陰寺さんが闇の(あるいは病みの)感じを出して、それにシュウペイがツッコミを入れていくようなラジオならおもしろいんだけどな!

それにしてもしんいちさんの優勝やネタを叩く人が意外と出てこなかったなあ。事実を歌ってるだけだから何も言えないのか。しかも「好き」って歌ってるからね。

情報化社会に取り残される情報弱者

正月に両親と会った。

両親の住居は車がないと不便なところにあり、70を超えた母は運転ができないため、父の運転する車かバスを利用しないと、電車に乗ったりスーパーで買い物したりすることもできない。

最近母は、もっぱら父の運転でしか外出ができないという。新型コロナウィルスの感染が怖くてバスに乗ることができないのだそうだ。

これまで私は、新型コロナウィルスを恐れる人と出会う度に、「勝手に怖がってろ、家から出るな」という気持ちでいた。しかし、母のようないわゆる情報弱者がテレビや新聞の言うことを鵜呑みにしてしまうのは当然であり、社会的課題がそこにあるように思えた。

テレビや新聞には、スポンサーご都合主義ではなく、正確な情報を国民に伝えるという第一使命を忘れずにいてほしい。しかしそれができていないときに、誰がどういった行動を起こすべきなのか? ツイッターもビラまきも街宣活動も、私の母のような人たちには一切届かないのだ。

精神論にうんざり

新型コロナウイルス関連の一番悲しいニュースはなんだったか、と思い返すと(まだ騒動は収束していないが)私は「若い女性がPCR検査で陽性判定となったことを苦に自殺した」ニュースが一番悲しい。

脳科学者の中野信子先生の本で読んだと思うのだけど、「被害者が被害に遭ったのは、被害者に落ち度があったせいだ」と思いたがるのは、人間の心理として当然なのだそうだ。自分も被害にあったらどうしようという不安な気持ちを抑えるために、「被害者に何らかの落ち度があったからだ(だから自分は大丈夫)」という心理になるらしい。すごく思い当たる節がある。

それは意地悪な気持ちでもなんでもなく、人間の心理として当然にある。そして、だからといって被害者を責めたり、絶対自分は被害者にならないと思ったりする行動は、間違っていると思う。

だから、新型コロナウイルスに関する報道で、「気の緩み」「意識の低さ」「自分は大丈夫と思う気持ち」のせいで感染が無くならない、という表現をしているのを見聞きすると、本当に腹立たしい。
ちゃんと考えてものを言ってほしい。
そんな精神論でどうにかなる話ではないのだ。本当に2021年ですか?と思う。昭和の悪習。

「後輩が言われたことしかやらない」と嘆く前に

4月に異動やら入社やらがあって、教育に携わっている皆さま、おつかれさまです!
人に仕事を教えるようになって初めてわかることは、「教えるのは教わるのより数倍大変」ということですね。

最近周囲から「あいつ言われたことしかやらないんだよ」という愚痴が聞こえてくるようになりました。私はその気持ち、よくわかります。≪言われたことしかしない人≫の気持ちが。

前提として、≪言われたことしかしない人≫と≪言われたことしかできない人≫に分けられると思います。≪言われたことしかできない人≫には、まずは丁寧に仕事を教えるしかありません。
さて、≪言われたことしかしない人≫についてですが、教え方が雑だと、人は≪言われたことしかしない人≫になってしまうと思っています。
例えばこんな言動に、心当たりはありませんか・・・?

新人A君は、先輩B君に業務Cを教わりました。
先輩B君の不在時に、業務Cが発生! 「教わったからカンペキだぜ!」と新人A君は業務Cを片付け、先輩B君が戻ったときに報告をしました。てっきりほめられると思ってドヤ顔の新人A君に、「いや、それ業務Cじゃないから!勝手なことしないでよ!」と血相を変える先輩B君。

どうですか?
どちらの気持ちも、よくわかります。でもここで、なぜ今回の業務を業務Cだと思ってしまったのかを一緒に考えたり、業務Cについて再度説明をしたり、「当面は確認してから業務を行なってほしいな」とお願いしたりする手間を省いてしまうと、≪言われたことしかしない人≫のできあがりです。
それから、これはあくまで私見ですが、「言われなくてもやってよね!」とプンプンされていらっしゃる人って、たいてい「言いにくいから言いたくない」だけなのでは、と感じます。
基本、人って言われなきゃやらないですよ。というか、言われてもやらない人もいますよ。言われたことはやってくれる、まずはそこに感謝したいです。

自分の仕事もしつつ後輩の面倒をみるのは本当に大変です。でもいまの苦労が、後の自分のためになると信じて・・・お互いにがんばりましょう!

伊勢丹のサービス

伊勢丹新宿店で靴のカウンセリングサービスを受けた。

普段2万円くらいのパンプスをはいているのだけど、5万円くらいするパンプスを買いたくなった。でもどのブランドが自分の足に合うかわからないので。平日の午後に、アプリから予約をした。

結論から言うと、全くの期待外れだった。

3D計測器で片足ずつスキャンしてくれるまではよかったのだが、そのあと出してもらう靴が、どれも小さくて入らない。見るからに小さくて入らなそうな靴を持ってくる。というか、事前に「予算は5万円まで」「仕事用」「パンプス」「ヒールは5cmくらい」と伝えてるのに、あらかじめ用意しておくとかできないのかな? 靴を持ってくるあいだものすごく待たされた。ようやく足が入る靴を持ってきてくれるようになったけど、なんだろう・・・こちらが職業を伝えてないのがいけなかったのかな? 「仕事用」といっても、倉庫作業とか、飲食店のホール・キッチンとかではないんですけど・・・。

結局気に入る靴は見つからなかった。というか、そもそも条件に合う靴が見つからなかった。百貨店なのに・・・。

私の足が特殊な形なのかな?と思ったけど、横でフィッティングしている人たちにも同じような靴しか出されていなかったので、伊勢丹終わったな、と思った。私の中では始まってもいなかったけど。

百貨店が、「特別な場所」ではなくなったのかな、と思う。

今の40代から下の世代は、非正規雇用の割合が高いし、高収入でも、値段が安くて高品質・高機能な服や靴、装飾品を身につけるほうが、おしゃれというか、時代に合っている感じがする。百貨店に対する敷居を下げて、客単価も下げて、店員の数を増やすかわりにサービスの質も下げざるを得ないのだろう。

そういえば最近、インターネットで「脱コル」ということばを知った。この話はまた今度・・・。

アクセルとブレーキ

私は運転免許を持っていないので、例えが適切ではないかもしれないですが。

 

アクセルとブレーキの両方がないと車は走れない。

働く人も同じで、どちらもできないと仕事にならない。商談を真っ先に取り付けたものの準備不足で契約不成立、ということもあれば、準備を整えている間に他社に契約をとられる、ということもある。短時間で大量に作業を終わらせたけどミスだらけ、ということもあるし、慎重に作業を進めるのでミスは一つもないけど遅すぎて納期に全然間に合わない、ということもある。「スピード&クオリティ」と表現されることもあるが、要はバランスが大事で、両方の性能を上げていくことが求められる。

そして、人によって得意と不得意、アクセル優位かブレーキ優位かというのは絶対にある。会社単位やチーム単位で見たときに、バランスがとれているのがよい組織だし、成果につながりやすい。

ただ、私がブレーキ優位の社員だから言うわけではないけど、アクセルの方しか評価してなくない?と感じるときがある。確かにブレーキだけだと仕事はいっこも進まないし、なにしろアクセル優位の社員のほうが目立つ。人事評価項目も、リーダーシップとか、推進力とかばかりで、ブレーキ優位の社員には不利と感じる。

けど、すっごいスピード出る車が走るためには、それをコントロールできる高性能なブレーキが必要でしょ? そこを理解してないと、大事故が起きる。

ブレーキをないがしろにしていませんか?